箱根山に蒸気機関車で登ろうとした幻の鉄道計画 最近世界遺産に登録された富士山で5合目まで登山鉄道を敷設して東京から鉄道で富士登山してもらおうという計画を聞きます。 鉄道興隆の時代には多くの鉄道が計画され、実現せずに終わったものが多くあります。天下の険といわれた箱根山にも急勾配を克服して鉄道を敷設しようという計画が多くなされ、 箱根を越えるための鉄道では、昔の東海道鉄道(現御殿場線)と丹那トンネルで箱根山を抜ける現在の東海道線経路が実現し、箱根を登るものとしては箱根登山鉄道が実現しました。 しかし、その他に計画はされたが実現しなかった鉄道計画もありました。当時の主力機関車であった蒸気機関車で箱根の芦ノ湖に登り、沼津に下るという鉄道計画でした。 また旧東海道線を敷設する際には現御殿場線経路に対する比較案として関本から矢倉沢を通って、足柄峠の下を4キロのトンネルで抜けて駿東郡の竹之下に出る案もあったようです。 小田原鉄道歴史研究会では箱根山を登ろうとしたが実現しなかった鉄道計画線、箱根鉄道線路を調査しました。もし実現していたらここに線路があったということが偲べるように 経路を辿って見たいと思います。 まずは、俯瞰図です。 (画像はクリックで拡大) |
図の中の線の意味: ◆赤と◆水色が箱根鉄道線路です。 ◆茶色は官設東海道鉄道(現御殿場線)です。 ◆紫は異なる2社が計画した大雄山最乗寺登山ケーブル計画線です。 薄茶色は東京(渋谷)大阪(野田)を6時間で結ぼうと明治30年頃に計画された日本電気鉄道の経路で、渋谷の次の停車場は松田駅が予定されていました。御殿場の先は十里木越えです。 ★箱根鉄道線路 この計画については、「富士高原鉄道」というWEBサイト欄で紹介されており、そこには下記の文献が記載されています。 工学会誌第184巻(明治30年4月発行)「箱根鉄道線路予測の景況」(土木学会のHPのデ ジタルアーカイブの戦前図書・雑誌コレクション) 上記の文献の一部の現代語訳を末尾に載せてあります。 これを読むと箱根の産業振興、観光振興をこの鉄道に期待していることがよく分かります。 最急勾配は1000mで25m登る25パーミルで、東海道線の東京神戸間全通のわずか7年後の計画で蒸気機関車で箱根に登ることを予定していたようです。 下図は上記の文献に記載されている勾配表です。 (画像はクリックで拡大) |
上記WEBサイトの著者は、この文献を基にカシミールを利用した俯瞰図を載せておられます。 上記の文献に記載されている計画は鉄道としてかなり具体的なデータが記載されており、この鉄道データを具体的に読んでより詳細な姿形の表現を試みました。その上でそれをグーグルアース上に表現してみました。 俯瞰図を見るとなんとも壮大です。 現小田急線新松田駅辺りを出て足柄平野をぐるりと半周以上回って箱根外輪山をよじ登って高度を稼ぎ、久野霊園を突っ切って早川沿いの枝垂桜で有名な紹太寺のはるか上の山腹に出、湯本付近は塔が岳の山腹で通過して早川の1号線の対岸の中腹(現在足柄林道が通っている)を登っていき宮城野では別荘地の中辺りを抜けて碓氷峠をとおり、仙石に入って湖尻桃源台から芦ノ湖の湖岸を辿って箱根の恩賜公園辺りに設けられる予定の箱根駅まで43キロです。 トンネルは箱根駅まではわずか2個というのも驚きです。 (画像はクリックで拡大) |
★架空車窓風景(松田〜箱根駅) 松田町駅は東海道線松田駅の川側(今の小田急新松田駅前のバスストップから御殿場線沿い)になります。 松田町駅を出た汽車は官設東海道線に沿って、酒匂川側を走っていく。 ※写真準備中 御殿場線の東山北駅の手前の右カーブ辺りでわが箱根鉄道線は左カーブをとって東海道線と別れ、丸山から突き出た尾根に向かって土手を登って行きます。尾根を切通しで抜けて宿の山裾をとおって岸の山北駅方面に行く県道を信号のある交差点の北で横切って湯坂方面に向かいます。 この県道との交差あたりに川村駅が予定されていました。 松田駅からの距離は4.6キロです。 川村駅からは千分の25勾配、1キロで25m登る勾配が始まります。蒸気機関車で登れる限界に近い勾配です。芦ノ湖湖畔まで続きます。 川村駅を出た列車は時速20キロくらいの速度で走り、やがて酒匂川を次いで内川を渡ります。 ※写真準備中 怒田丘陵の山裾を内川沿いに登り、古くからの梅の見所がある洞川の源流、貝沢川源流辺りを南下して足柄神社のある尾根をもう少し登った辺りを通って御殿場街道と狩川を横断します。 橋の高さは20m、両端の土盛を含めた高架部分は300mくらい必要で、ここの高架部分の急勾配を真っ黒い煙を上げて登る姿は偉容を誇ったであろうと思います。 列車は南足柄市のごみ埋め立て場の真ん中を通って更に進み広域農道を横切って植樹祭の式典会場に上っていく谷を横切り、最乗寺に上るバス道がオンリーユーへの道を分岐する辺りの少し下のところで最乗寺への杉並木のバス道を横切ります。 ※写真準備中 わが鉄道は更に千分の25の連続勾配を登り続けて明神林道の下の山裾を進んで行き、やがて長泉院の寺域の上辺りを通過して、グリーンヒルの中に入り、白笹観音のやや下辺りを通ってグリーンヒルを通過し、矢左芝に至ります。 ※写真準備中 ここには道了駅が設けられます。 ここは長さ1.6キロくらいの平坦部分が取れるので鉄道施設を設けるに適しているので道了尊からは遠いのですが、ここに道了駅が予定されたものと思われます。標高250mくらいです。松田駅から13.6キロ、川村駅からは約10キロで、川村駅から30分くらいはかかったことでしょう。 道了駅から次の塔ノ沢駅までは千分の16と少し緩やかになります。道了駅を出ると始めてのトンネルとなります。長さはおよそ750mです。トンネルを出ると御岳神社から明神林道に出る林道が通る谷に出ます。 ここで小田原市に入ります。 諏訪の原に続く尾根を切通しでとおり、久野川流域に入ります。久野川沿いに山裾を谷の奥のほうに登っていき、和留沢の部落の入り口付近で久野川を渡り対岸の山裾に移り、今度は久野川ぞいに山裾を下って行きます。※写真準備中 そして久野川の支流の坊所川の流域に回りこんでいき、久野霊園の中を横切り、久野霊園から出る上の道が足柄林道と交差するあたりで足柄林道を横切り、坊所川を横切り水之尾から塔が峰にいたる尾根にわたります。 その尾根を切通しで横切ってやっと早川流域の山裾に出ます。 その山裾の入生田の紹太寺のしだれ桜のある谷をもっと上に行ったところで塔ノ沢駅が予定されていました。松田駅から21.8キロ、道了駅からは7.2km位で標高380m位にあります。 塔ノ沢駅を出ると直に塔が峰から阿弥陀寺を通って塔ノ沢温泉に出る登山道を横切ります。そして早川沿いの山裾の足柄林道のやや下を林道に沿って登って行きます。 塔ノ沢駅から芦の湖畔の湖尻までは再び千分の25勾配です。対岸には1号線の大平台がよく見えるはずです。 更に進んで宮ノ下付近が見えてくると2つ目の長さ250mトンネルに入ります。これを抜けると足柄林道と平面交差して宮城野の少し平地のあるところに出ます。下に宮城野の家並を見ながら別荘地を上に見て中腹を部落を回りこんで発電用の水圧管が設置されている山裾辺りまで着ますと、そこが宮城野駅に予定された地点です。 570mまで登って着ました。松田駅から29.6キロ、塔ノ沢駅から7.6キロです。この駅から上に登ると碓氷峠と呼ばれている場所に出ます。 宮城野駅を出た列車は早川沿いの左岸の山裾の千分の25勾配を攀じ登って行き、俵石のあたりで早川をわたり、元湯場、現在のリカーブ美術館の辺りを通り、県道に沿って仙石原の湿原を横切っていきます。 大箱根ゴルフ場の中に仙石駅が予定されていました。 海抜690mまで登ってきました。松田駅から34.6キロ、宮城野駅から6キロです。 仙石を出た列車は更に千分の25の勾配を登って行きます。2キロくらい行ったところで始めて芦ノ湖が見えます。 列車は現桃源台駅の裏の高い部分を通過して湖尻の先の山が湖畔に迫った辺りで最高点760mに達します。宮城野から3.6キロ、松田から38.4キロの地点です。 最高点を通過したわが列車は千分の5のやや下り勾配を芦の湖畔沿いに南下し、箱根園の中の駒ケ岳ロープウエイの山麓駅付近を通り、箱根神社の辺りからは湖の中に堤を作って元箱根の街を湖の中で迂回し、東海道(1号線)が湖畔に出た少し関所側で湖畔に戻り東海道の山側を東海道に沿って恩賜公園の入り口辺りに設けられる海抜740mの箱根駅に到着します。松田から43キロです。 ★「箱根鉄道線路予測の景況」※の原本 ※…工学会誌第184巻(明治30年4月発行)「箱根鉄道線路予測の景況」(土木学会のHPのデ ジタルアーカイブの戦前図書・雑誌コレクション) |
★上記の現代語訳 箱根鉄道線路予測の景況 山形信吉君 明治29年7月15日付けにて寺嶋男爵外104名で発起申請した箱根鉄道線路は、神奈川県下相模の国足柄上郡松田駅の官設鉄道停車場を起点として足柄下郡箱根宿及び熱海付近等を通過して静岡県駿東郡沼津駅官設鉄道停車場に接続する延長53マイル余(約85Km)にして、その主要目的は最乗寺境内の道了権現の参詣者、箱根七湯(目下、増加して十二、三)の湯及び熱海修善寺などの温泉に入用する旅客に便利を与え、沿線各地に産出する良好な石材の運搬を容易にして広く市場に販売して、公益を図ろうとするものである。 箱根温泉は京浜に最も近い温泉場であって、海抜150尺(約45m)から3000尺(約900m)に散在し山水明媚、大気は清浄、いつも天然の趣があり、最も幽玄で風雅のある名勝地である。 箱根は足柄下郡の西南の隅にあって峨々としており、千岳万峰箱根とはこのあたりの総称である。 東南は相模灘にのぞみ、西は伊豆半島にまたがり北は足柄山に続いてその先に富士山が位置する。 東の山裾は小田原町から1マイル(約1.8km)にある大窪村字風祭から立ち上がり、西の山の末端は伊豆の国の三島宿に達する。 山中にはいたるところ村落があり、その山上にあるものを箱根宿という。東西の長さはおよそ11マイル(17.6km)余、南北は山岳重なりあってどのくらいなのか見当もつかないが、およそ13マイル(20.8km)余くらいであろう。 箱根の山間の所々で温泉が湧き、古来から有名である。 いわゆる、箱根七湯は東海道国道の北箱根宿の東北に当たる山の沢にある。 すなわち、湯本、塔ノ沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦の湯がこれである。 その他、小涌谷、湯の花沢、姥子、仙石原、強羅の五つの新温泉場がある。 箱根の山で最も高い山群は神山、冠が岳、駒ケ岳、金時山であり、次いで二子山、文庫山、三国山である。 箱根山の頂上に一大湖があり、芦ノ湖という。 叉、地獄湯として熱湯沸騰し硫黄煙を噴出しているもの3つある。大涌谷、小涌谷、早雲地獄がこれである。さらに芦の湯硫黄を加えて四地獄である。 最近仙石原付近おいて熱湯の噴出が発見され、お雇い医ベルツ先生に分析を依頼したところ、その泉質非常に善良であるという。 このことすぐにお上に達し、この熱湯と付近の土地は宮内省に買い上げられ、現在は御料地となった。 宮内省においては仙石原に一大ため池を作り、この熱湯と芦ノ湖の浄水とを混ぜて適当な温度にして温泉プールを設けるとの計画があるという。 熱海温泉場は伊豆の国加茂郡伊豆山の南日金山の東麓にあって静岡県の管轄に属する。三方、山に囲まれて北風の寒さが防がれ、東南に海を控えて空気清浄健康保全の地である。 修善寺温泉は伊豆の国君沢郡修善寺にあってますます辺鄙であって最も閑静な土地である。 本鉄道線路起点地である松田駅は武相中央鉄道との接続地であって、将来荷客の輻輳する重要な地点となるであろう。 道了権現は足柄上郡関本村最乗寺の境内にあって参詣客が多いことでは成田不動、川崎大師に次ぐものである。 現在参詣する者は国府津及び松田停車場にて汽車を降り、そこから徒歩叉は車馬の便にたよる以外ないが本線路布設後は最乗寺の大門付近に本鉄道の停車場を設置できるので参詣者は大いに増加するであろう。 条約改正が実施され外人が自由に住むことができるようになると、本鉄道沿線各地には公園地が設置され叉遊技場が設けられ、人家が大いに立ち並び、外人は本鉄道沿線の各地を根拠にして京浜市場と取引をするようになるであろう。 石材は沿線各地に産出する。この中でも元箱根付近の二子山には良好な石材がある。本線路布設の上はその運搬容易になって京浜市街の土木建築材料にこの石材を使用すれば、レンガを使用するより大いに便利であってその価格も低廉にすることができるであろう。 本線路松田沼津間の延長はおよそ、53マイルで官線(現御殿場線)松田沼津間延長の33マイル22チェイン(1マイル約1.6km、1チェイン約20m)と比較すると差し引き22マイル68チェインの迂回となり、既にある官設鉄道に対していささかも害を与えることなく、単に箱根、熱海、修善寺等の入湯客及び遊覧人と沿線の石材、木材、竹材とを運搬して本鉄道の経済を保って相当の利益のでる見込である。 本鉄道線路予測の結果は別紙平面図、縦断面図、地形表、勾配表、曲線表とのとおりであって建設費は概略、金400万円を要する見込みである。 これに対する収入は現近の入湯客を調査すると昨29年中に係る各警察署の調べでは箱根、熱海の両所の宿泊数は37万泊であって、その人数は17万人内外である(…?数が合わない。)この浴客叉は旅客が本線路を平均1回あて往復するものと仮定すると1ヵ年の乗客マイルは1820万マイルにであり、1マイル平均1銭5厘とすると金27万300円となる。 このうち営業費一日1マイルにつき平均5円の割りで1ヵ年金96725円となるから差し引き残り、即ち鉄道純益は金17万3575円であり、建設費400万円に対して1ヵ年4朱3厘(4.3%)強となる。 しかし、この乗客人員は現今の箱根、熱海のみの宿泊人員であり、この外道了権現の参詣人、湯河原、修善寺等の入湯客を加え、鉄道布設後は必ず入湯客は増加するであろうから、石材、木材、竹材等の運送費を加算すれば相当の利益配当をすることのできる鉄道であることは明瞭である。 ▼付図(画像はクリックで拡大) |
文責:小田原鉄道歴史研究会会員 小菅 |
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